僕は肩書きや周囲からの目にずっと悩まされていました。
- 周囲からの目が気になって行動に移せない…
- 海外に飛び出してみたいけど、将来が不安…
- 今の生活を変えるのが少し怖い…
はだし夫婦のいちろーが実体験を基に記事を書きました。
新卒で上場不動産会社に入社し、3年半の在籍期間中に営業目標達成率1,000%超えを連発。
社内表彰も複数受賞して順調なサラリーマン生活だったのですが、海外に出た途端に最低賃金の皿洗いアルバイトしかできませんでした。
当時はものすごい葛藤やプライドによる焦り、周囲からの目線に恐怖を感じていました。
「あいつ落ちぶれたな」って思われてそうで怖くて恥ずかしくてしょうがなかったです。
今回は、当時のネガティブ感情がどんなものだったのか、そしてどう向き合って来たのかをお伝えします。
今は日本に帰国してフリーランスになり会社員時代よりもお金を稼げるようになりました。
プライドや周囲の目線との向き合い方が身についた結果なのかなと思っています。
【結論】上場企業正社員の肩書きよりも自分の幸せ
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いきなり結論を書くと、肩書きとか周囲の目線とか本当に気にしなくていいです。
気にする意味は無です。(笑)
理由はそもそも「自分がおもっているほど他人は自分に興味を持っていない。」からです。
YouTuberの経験を通じて100%言い切れることです。
周囲の目線を気にしているのはあなただけ
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YouTuberとは他人からの興味をいかにもってもらうかを考え続ける職業です。
アイドルや芸能人も似たような視点で仕事をしています。
「他人から自分への興味」に関するプロフェッショナルである僕がいうので間違い有りません。
例えばよく聞く話ですが、
「YouTubeを始めたいけど、知り合いに見られたらはずかしい」
という人がいたとします。
僕も最初は同じ不安を感じていたし、恥ずかしさも有りました。
とくにありさはYouTubeを始める前に強く悩んでました。
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だって怖かったんだもの…!
こういった人の9割以上がYouTubeを実際に始めないのですが、実際に始めた人のほとんどはこう思うはず。
「知り合いどころか誰にも見てもらえない…!」
そうなんです。
あなたの知り合いは、あなたのことを恥ずかしいと思う以前に、あなたのYouTubeを見ません。
むしろあなたがYouTubeを始めている認識すらないです。
仮にインスタやフェイスブックで「YouTubeはじめたよ〜」
と告知したとしても1時間後には忘れています。
毎日会うわけでもない知人がYouTubeをはじめたことよりも、
明日の仕事で上司に怒られないか?
今好きな人への告白がうまくいくか?の方が大切なんです。
つまり、周囲の目線を気にしているのはあなただけです。
誰からも目を向けられていないのに、自分の妄想で誰かからの目線を生み出して勝手に悩んでいると考えたら、なんだか時間がもったいないと感じませんか?(笑)
そんなもったいない時間を過ごしていたのが昔の僕です。
【無駄】周囲の目線は気にしまくってました
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僕はもともとプライドが高い方で、どうやったら周囲に認められるのか?ばかりを気にしていました。
そのため、会社を辞めてオーストラリアへ行ったときにはこんな悩みが有りました。
- 英語が喋れずに皿洗いの仕事をして、落ちぶれたっておもわれないかな
- 会社員時代の給料よりも収入が下がってダサいっておもわれないかな
しかし、実際に海外での生活を初めてみるとこのような悩みは少しづつ減っていきました。
もちろん最初からすべてが吹き飛んだわけでは有りません。
定期的に似たような悩みは発生しました。
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YouTubeを始めたけど、あまり結果が出なかったら恥ずかしい黒歴史になるんじゃないかなとか思ってたよ…!
YouTubeやオーストラリアでの生活を通じて気づきを得たからこそもっと大切なものを見つけることができました。
周囲の目線を気にするのか、気にせず自分らしく生きるのかは自分次第です。
上場企業を脱サラしてオーストラリアで気づいたこと
僕が周囲の目線を気にしなくなった理由は、オーストラリアでの気付きのおかげです。
日本での生活で肩書きに振り回された
日本の生活では、肩書きや周囲の目線に振り回されすぎていたんだなと気付かされました。
メディアによる洗脳なのか、日本人特有の文化なのかわかりませんがいろんな肩書きが飛び交い過ぎじゃないですか?(笑)
- この仕事で認めてもらえれば課長に昇進!
- 彼氏は年収〇〇万円でモデル経験ある!
- 就活成功して東証一部上場の大企業に入社!
もちろん、目標に向かって努力することは素晴らしいですし、その指標の1つとして肩書きがあることは何も問題ないです。
しかし、肩書きを追いかけるあまり、幸せかどうかの基準を失ってしまうのは悲しいことだなと思います。
すべての肩書きに「で、それであなたは幸せですか?」と問うてみたらどうなのかなと。
実際に会社員時代に見た例だと…
課長に昇進するために朝から晩まで残業。
平日は子どもが起きてる時間に1秒も顔を合わせず、土日は平日の疲れで子どもと遊ぶどころかふとんでひたすら体力回復。そしてまた平日は朝から晩まで働く…を繰り返す。
このような繰り返しの生活をしている人もいました。
本人が子どもとの時間よりも課長の肩書きが大切ならいいんですが、
仮に子どもとの時間をもっと取りたいなら課長になるのを諦めて早く帰ってもいいのになと思います。
会社の役職が不要ということを言いたいわけではないです。
当時の僕はわかりませんでしたが、今ならこのように思います。
本当に自分が大切にしたいものはどっち?
肩書きにとらわれ過ぎて何が幸せかわからなくなってない?
オーストラリアのバイロンベイが教えてくれた気づき
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先に書いた例は他の誰でもなく、昔の僕にも当てはまることです。
大好きなありさとの時間を捨ててまで、会社で活躍する意味なんてなかったのに
当時は気づけなかったんですね。
オーストラリアへ渡り、バイロンベイで暮らすようになってから本当に大切なことを教えてもらえました。
バイロンベイはビーチ目の前に芝生があって、寝っ転がってる人がたくさんいます。
オーストラリアの都市でもちょっと特殊なヒッピータウンです。
バイロンベイにいる人達はなんだかとっても幸せそうなんですよね。
東京の山手線の殺伐とした雰囲気と比べると驚くほど違う雰囲気です。
この海で寝っ転がってる人たちを見ると幸せと肩書きって関連性あんまりないんだなって思います。
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彼らは、年商10億企業の経営者かも知れないし、当時の僕みたいな皿洗いかも知れません。
肩書きはわからないけど幸せなのは見るに明らかでした。
大切なことは、その人の中の幸せの基準があって満たされているかどうかです。
周囲からよく見られようと、肩書きをいくつ並べようとも幸せになれるとは限りません。
逆に言えば周囲の目線なんてなんにも気にしなくても幸せになれます。
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バイロンベイのきれいな海と健やかな街の雰囲気となぜかゆっくりすぎる時間が僕らに教えてくれたことです。
脱サラ後、周囲の目線から開放された結果は?
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周囲の目線を気にしなくなってから、
(正確には周囲の目線なんてそもそもないことに気づいてから)
とても生きやすくなりました。
なんというか肩の力が抜け落ちた感じです。
肩書きを守るための行動や、周囲の期待に答えるための行動をしなくて良くなったんです。
その代わりに、自分が幸せだと思うことに時間をつかうようになりました。
こう思うようになれたのはオーストラリア、バイロンベイのおかげだし皿洗いの仕事のおかげでもあります。
皿洗いから底辺YouTuberそしてフリーランスへ
皿洗いの仕事は、やりがいも無ければ給料も低かったです。
生活費を稼ぐためだけに必要性にかられてやっていた仕事です。
でも、皿洗いのおかげで肩書きがゼロでも幸せになれることに気づけました。
その思いは今でも変わっていません。
YouTubeでも登録者がおおかろうと少なかろうと気にしない。
もちろん、登録者数をもっと増やしたい!って思うことはあるし、自分より伸びてるチャンネルを見て負けたくない!って思うことはあります。
だけど、
登録者〇〇人だから周りの人にしょぼいって思われないかな‥
収益が〇〇万円くらいだとダサいって思われるかな…
このようなことは思わなくなりました。
登録者数が1人だとしても、その人に満足してもらえればOKです。
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日本に帰国してフリーランスになってからも同じです。
フリーランスという肩書きは、あってないようなものなんですよね(笑)
今の僕らの生活って、通勤も無ければ定時もないし、スーツなんて友人の結婚式で着るしか機会がないような生活です。
フリーターなのかフリーランスなのかニートなのか、言葉で表すのが難しいです。
日本に帰国してから昔からの友人とも会いましたが、
「今、何やってんの?」と聞かれたら「ニートだよ〜」って答えてます(笑)
僕の肩書きやプライドを説明するよりも彼らと少しでも笑い話をしていることの方が僕にとっては良い時間の過ごし方だからです。
彼らが僕のことをニートと思っても、フリーランスと思っても関係のないことです。
一緒に楽しい時間を過ごせればそれでOKです。
いちおう、会社を立ち上げる準備をしているのでしばらくしたら「かいしゃけいえいしゃ」(笑)になりますが、どんな肩書きでも関係ないです。
というか自分の存在を言葉で表す必要もないと思ってます。
重要なのは、今の自分の生活が幸せかどうかです。
大切にしたいものを大切にできているかどうかです。
すべてのプライドを捨てて葛藤した経験があったからこそ、周りの目線で自分の人生を推し量ることは辞めました。
肩書きや周囲の目線に消耗しない人生にしよう
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会社を辞めてオーストラリアに渡ったからこそ気づけた実体験をベースに周囲の目線や肩書きについて書いてみました。
偉そうに書きましたが、まだまだ葛藤に悩まされる時もあります。
そんな時はそんな時なので悩めばいいのかなと。
周囲の目線が気になって挑戦が怖い人もいるかもしれません。
僕も同じだったので気持ちはよくわかります。
でも、大丈夫です。
実は、周囲の目線なんて存在しません。
そして、肩書きはなくても幸せになれます。
あなたの幸せはあなたが決めてくださいね。
僕の体験談で誰かの背中をそっと押せたら嬉しく思います。
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必ず見に行きます!
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